マグミクス
子供たちを襲った、「じゃない」ゲーム機という悲劇
なぜ、ファミコンを欲する子供の手元に、「じゃない」ゲーム機が届いてしまうのか……。画像は「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」(任天堂)
Nintendo SwitchにPlayStation 4、そして供給が未だ需要に追い付かないPlayStation 5など、家庭用ゲーム機の人気は衰え知らず。今度のクリスマスプレゼントに、ゲーム機やゲームソフトをリクエストする子供たちも多いことでしょう。
【画像】違うよ!(号泣) 悲劇を生み出してしまったゲーム機(5枚)
一般的な家庭用ゲーム機自体は、1970年代から幕を開けましたが、1983年に発売された「ファミリーコンピュータ」(以下、ファミコン)の大ヒットがきっかけで国民的なブームとなり、世間に広く知られるようになりました。
ファミコンの希望小売価格は14800円。現在のゲーム機と比べるとかなり安く見えますが、当時と今では物価も違いますし、小中学生のお小遣いで手が届く値段ではありません。そのため、この頃の子供たちも、誕生日やクリスマスのプレゼントとして「お願い」するケースが多々ありました。
しかしこの「お願い」が、時に悲劇を招いたことも。ファミコンだと思って開けたプレゼント箱から、「マスターシステム」や「メガドライブ」、「PCエンジン」などの「別のゲーム機が出てくる珍事件」が、しばしば起きたのです。
もちろん、メガドライブたちは何も悪くありません。しかし、ファミコンだと信じて疑わなかった中身がまるで違ったら、ショックを受けるのも至極当然。子供たちは、高まる期待からの急転直下を味わい、涙に濡れた記念日を迎えてしまいます。
なぜ、こんな事態が起きてしまったのか。二度と繰り返さない礎とすべく、かつての悲劇を振り返ってみました。
●親の認識不足が不幸を招く……!
親がファミコン以外のゲーム機を買ってしまう最大の要因は、ある種の思い込みにあります。ファミコンが一大ブームとなり、興味がない人もその名を耳にしますが、それはあくまで単なる単語。そのジャンルを知らない側からすれば、ファミコンに対する正確な知識はありません。
しかも当時は、家庭用ゲーム機自体が今ほど一般的な認知を得ておらず、「ファミコンというのが流行ってるらしい」程度の知識しかない人もいました。しかもそのなかには、全てのゲーム機をまとめて「ファミコン」と認識しているケースもあり、広まりはすれど知識に関しては非常にバラつきがあったのです。
子供が口にする「ファミコンが欲しい」は、任天堂のファミリーコンピュータが欲しい、という意味以外ありません。ですが、ファミコン=ゲーム機と解釈している側には「ゲーム機が欲しい」との訴えだと捉えられ、ゲーム機ならどれでもいいのかなと結論づけたのでした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b2d9c11ef2207cf516ee84bb0cae6a29f59394fc?page=1
引用元: ・「これじゃない…」クリスマスプレゼント、ファミコンだと思ったら「違った」 悲劇が多発したワケ [フォーエバー★]
発売日
ファミリーコンピュータ 1983年7月15日
セガ SG-1000 1983年7月15日
スーパーカセットビジョン 1984年7月17日
セガ SG-1000II 1984年7月
セガ マークIII 1985年10月20日
ファミコン ディスクシステム 1986年2月21日
セガ マスターシステム 1987年10月18日
PCエンジン 1987年10月30日
セガ メガドライブ 1988年10月29日
ゲームボーイ 1989年4月21日
ネオジオ 1990年1月31日
セガ ゲームギア 1990年10月6日
スーパーファミコン 1990年11月21日
記事の話の通りだと
スーパーファミコンが発売されるまで
ファミコンと間違える大惨事が
5年以上も続いていたんかぁ
うちはセガSG-1000とマークIII 買って貰ったな
高かっただろうに親に無理させたなと今思う
この話が本当ならファミコン頼んでネオジオ来てもおかしくなよな
ファミコンが出たてのころで有名になる前に
自分たちでお小遣いで買ったからこんなことなかったな
四角ボタンで最初に買ったのはテニスとドンキーコング
本当にこんな事あるの盛ってない?親は知らなくてもファミコン下さいって店員に言うと思うけど
ゲームに触れて育った世代が子供と一緒に楽しむって家庭も多いし頼んでたのと違う!なんて事はもう起こらないんじゃないかなぁ
ちと寂しい気もするが
ウチは母親がセガのマスターシステム買ってきたわ
そりゃコンビニは全部セブンイレブンだと思ってる世代だからな
うちもファミコン頼んだのに
入ってたのはファンタジーコンポーネントだったわ
何それ初めて聞いたw
「ミ」どこ行った?
きこりの与作な。
初めて買ってもらった家庭用ゲーム。
俺も甥っ子に買ってあげた。鳥の糞避けて与作歌いながらいっしょにやったよ。そんな甥っ子は先に結婚してしまったが。
あんたいくつやねん
腹抱えて笑った
まだ持ってるなら価格めちゃくちゃ高騰してるよ
嘘つき
27800円(駿河屋)
駿河屋は売るときはボッタクリ
買い取るときは買いたたき
むしろ嬉しいよな
メガドライブが出てるって事は、ファミコンからスーファミに移ろうかって時期だしな
マスターシステムのモンスターランド面白かった
本体のデザインだけは格好よかった(´・ω・`)
マスターシステム悪くないけどな
ファミコンより絵はキレイだし
友達との互換性は無いけど
スーファミの代わりならキレるけど
ファミコンの代わりならアリ
ファミコンより断然上だしライバルはスーパーファミコンだからな
「みんながファミコンやってるから俺は違うのにしようかな」という変な考えでスーパーカセットビジョンを買ってもらった
それはそれで珍しがられて、うちに遊びに来るやつもいたが、やはり貸し借りができないので翌年ファミコン買ってもらった
懐かしい!
きこりの与作よくやったなぁ
あるぞ
>>129
うわーありがとう!
金持ちやないかい
俺は小学生のとき親の財布から1万円パクってファミコンソフト買ったことがある。親は1万なくなったと大騒ぎしてたが俺は最後まで白を切り通した。
なので大人になったらハイブラの洋服を買い漁るようになった
中身がないのにガワだけ買うようになったってことか、深い話だな
うめえな
サンタさん演出
子供はハッキリと「ファミコンがほしい」と言っている
まさか親が「テレビゲームはどれも“ファミコン”なんでしょ。知らんけど」と思っているとは思わないわけで
ガンダムに詳しくない人がFAZZとフルアーマーZZが別物だと知らないようなもの
サンタごっこしたいんだよ
それは当たりでは?
それを言うならカセットビジョン、ピュータだろw
メガドライブが出た後もファミコンでDQ4とFF3が出ている
メガドライブでしたぁ
チックショー
あれ? 俺がいる……。
クリスマスにテレビゲームを欲しがったら偉い人の伝記をプレゼントされたのび太と一緒だな
ちゃんと踊るヒマがあったら発明したのか?
飽きたら新しいゲームに書き換えられるなんて
容量でかくて面白いゲームが多かったし
サンタがやりたいだけじゃんかと思った
違うんだ…そいつはファミコンと抱き合わせのソフトだ
数日でファミコン自体に触らなくなった
一般家庭なら買ってくれるプレゼントすら高い高いで却下しまくる親だったけどカービィの夢の泉だけは珍しくすんなり買ってくれたんだ
そのときはたまたま出してくれたのかと嬉しかったけど、大きくなりゲーム機の歴史を知ったら夢の泉が発売されたときはとっくにスーファミの時代になってたと
ドケチな親が買ってくれたのも納得で悲しくなったわ
うちもスーファミ買ってもらったの友達より遅かったけど、夢の泉買ってくれた親には感謝してる
当時の落書きもほぼカービィだった
いやカービィが嫌だったわけではなくて、親が珍しくすんなり買ってくれたのが「流行遅れのものだから」だと分かったときの落胆というか
ちなみにその後のスーパーデラックスは誕生日にリクエストしたらものの見事に却下されて見かねた祖母が少し援助してなんとか買ってもらえた
源平討魔伝(ファミコン版は謎のボードゲーム)を頼んだら気を利かせて月風魔伝をくれたこともある。
あれを欲しい奴は金属製の景清の駒が欲しいんだぞ
セガってダセーよな
もう誰も知る人はいない
まあ元々持ってなかったし楽しめたけど
ソフトもスーパーとかのワゴンセールで安く買えたし
あれって本体無しでも使えたんだろうか?
タッチタイピングの練習とか…
嘘記事乙
嘘ではないこれは今の40代半ばの人たちが小学校低学年だった頃の話
あの当時は親世代には「アニメ」って単語すら知らんのいた時代だぞ
昔はアニメのことを『てれびまんが』と呼んでたね
今はどうか知らんが新聞のテレビ欄にアニメタイトルも記載せず漫画とだけ書いてあったな(北海道新聞)
あの頃の母ちゃんはテレビゲームをみんなファミコンって呼んだんだよ!
オレだけカエルが道路を横切ってぴょんぴょん跳ねなきゃいけないんだ
まだ持ってるわ
学研テレビボーイ?
フロッガーかw
俺んちもそうだけど
あの時代に生きて持ってないやつ見たこと無いわ
スーパーマリオ発売の85年より前はそこそこ持ってない家あったよ
ファミコンブームはそれよりも後じゃん🤭
本体ないけどスーマリだけ持ってる文化住宅住まいの友達がいたぞ。散々からかわれてて、子供って残酷だよな。
オバQのカセットだけ買ってた奴いたわ
うちは父ちゃんが懸賞で当ててくれてわりと早くにファミコンが導入された(´・ω・`)
せっかくゲーム機があっても
RFコンバータ?だっけ?TVのアンテナ線が上手く接続できてなくて
持ってる友達の家に行っても
「お父さんが帰ってこないと遊べない」ってパターンがあって悲しかったな
まあゲーム長時間やらせない為の口実だったかもしれないがw
あれで同軸ケーブルの線出し覚えたわw
行く末が心配です…
LEGOは宇宙基地シリーズが好きだったわ
スペースシャトルみたいなの作った覚えがある
今ヤフオク出したら3~4万くらいにはなるぜよ
オクトパスとかマンホールとかポパイのとかがあって画期的な2画面ドンキーコングがあってからのファミコン
誰もがいずれは死ぬ運命
ピコピコやると目悪なるでな
当時ゲームの類いを一切してなかった同世代は視力の良いのが身の周りでは多いんだよな
ゲームは1日1時間ってのは子供の目の発育のためでもあったのかもしれん
>>425
そういえば元祖VRゲーム機バーチャルボーイを借りてやったら、約15分置きに『健康のため休憩しましょう』
というメッセージが表示されて強制的にシャットダウンした。
健康被害を懸念したんだろうね。(とくに、すぐ訴訟を起こす海外対策?)
>>426
うちは、娯楽禁止の方針で、見かねた叔母がカウンタックのダイアクロン(※トランスフォーマーの前身の玩具)
を買ってくれたけど、それをババアが母親にチクって、ろくに触ることもできないまま、庭で燃やされた。
キチガイ親持って大変だったな
燃やすってすげえな
今みたいにオートセーブやスリープモードがないんや堪忍してくれ…
ドラクエなんか2まで復活の呪文聞きに城に戻らないといけなかった(3や4でも冒険の書に記録しに戻る必要あり)からなあ
なおヘラクレスの栄光は蘇生の呪文を聞ける場所がよりによって途中に中ボスクラスの敵がいるアテネから離れた村
むしろ欲しがるだろ
ドラクエⅢが出た時期だぞ
ファミコンは従兄弟のおさがりを小2ぐらいで大量にもらたがスーファミ時代やったからな
その後スーファミ
サターンの順か
ぴゅう太は1982~1983年までなら性能的にもソフトラインナップ的にもトップだったと思う
PCエンジンやメガドライブのほうが高いでしょ?16ビットだし
PCエンジンは買ったあとに16ビットじゃないことに気づいてがっかりした思い出
実はファミコンと同じ6502互換CPUだったというオチを知ってしまったか
さすがにCPUまで考えたことなかったが
ファミコンに近いスペックと考えればPCエンジン優秀だと思えるな
クライアントに確認とらず、あいまいな仕事を進める能なし
まだファミコンのCMが少なかった初期だよな
親父はトランキライザーガンの移植版サファリハンティングができるSG-1000推しだったけど、マリオブラザーズとゼビウスができるという点でファミコンにした
メガドライブはソフトのラインナップがちょっとなあ
Rタイプのグラフィックには衝撃だったよ
スーファミの前で
小学生になぜ麻雀をさせようと思ったのか謎だった
その頃なら普通にいそう
後子供本人がガンプラと勘違いして買ってしばらく気付かないパターンも
本当に嬉しかった。
アラフォーの今でも思い出すよ。
あの思いは我が子にも受け継ぎたい
俺も小学生低学年の時
みんなジャンプ読んでて話題に入れなかったから
母親にジャンプ買ってきてって言ったら
月刊の方買ってきて
これじゃない!って怒ったっけ
持ってる人はファミコンも持っていた
確か本体24800円、ソフトが5000円ぐらいだから最低3万円ぐらい
最初のPCエンジンCDロムロムは本体とセットだと定価9万近く
ソフト買ったら10万だったw
元の色が見えるくらい半端にマジックで塗り潰されたNDS・・・
「○○君そのDSどうしたの?」と聞いたら「懸賞で当たった。色も黒だしお前のDSとは違うから」と言われたっけな~
取り返せよw
自分が犯人ですって言ってるようなもんじゃん
おれは小学生の頃にガンダムのキラキラカードを家に遊びに来た友達に盗まれた
そいつが来て帰ったら無くなっていたので確定的
むかついてそいつの家まで行ったものの母親しかいなかったので母親にそいつに盗まれたことを言って家に入って取り返したよ
母親は謝ってた
次の日にそいつに言ったら無言だったな
それ以降は遊ばなくなった
ズレてるよな
スペックも全然違うし本当に間違えたとしてもなんなら嬉しい
ズレてねえよ
SFC PCE MDの戦国時代やぞ
ハードは全て持ってたがw
いや元記事にはファミコンと思って
って書いてあるじゃん
